今年はzoomクリスマスが流行るのか
結論からいうと、流行らないと思います。
2020年のクリスマスイブは木曜日。思いっきり平日。今まで頼りだった23日の祝日はなく・・・
ただでさえ、下降気味のクリスマス気分なので、このコロナ禍でわざわざクリスマスを盛り上げようってことにはならないでしょうねえ。
これがキリスト教の国だと、コロナで大変になっている人を勇気づけるイベントをってことになるんでしょうけど、日本じゃあねえ。多少あるでしょうけど。
あえていうと、25日が金曜日なので(プレミアムフライデー!!)、酒場は盛り上がるかもな。
というわけで、あんまり盛り上がらないかもしれませんがzoomを使ってオンライン飲み会、オンラインクリスマスってやろうって輩は何人かいるでしょう。特に25日。
でもまあ、オンラインクリスマス、zoomクリスマスって言ったところで結局はただの飲み会。
家庭がある人はそっち優先になるし、家族でzoomはしないし。
どう考えてもzoomクリスマスは流行らないな。
それよりは年末、正月。コロナの状況次第では帰省する人も増えてくるでしょうが、それでも例年よりは少ないはずなので
今までは帰省して実家でおせちっていう人も、今年は家でっていう人も多いでしょう。
今年はおせちがいつも以上に売れるんじゃないか。
いや、自分でおせち作るっていう人も増えるかもしれない。1、2品ぐらいだったら作れそうだし、蒲鉾切るだけでもいいしね。
そもそも、おせちって基本的に多過ぎ。ちょこっと作るぐらいがちょうどいい。ちょこっとおせちに地元のお雑煮を加えれば、もう立派なお正月でしょう。
今年はクリスマスよりも、年末年始にいろいろチャンスがあるかも。
宇宙に行くなら、UHA味覚糖「宇宙食 特濃ミルク8.2」を持って行こう
謎の背景画像
トップページの記事バックに謎の背景画像が表れて消えない・・・。画像自体は使おうとしてアップした画像なので、謎ではないんだけど。
画像の一覧から削除したのに消えないってどういうこと?
というか、そもそも記事背景に画像を表示する設定が分からない・・・。
ブログ方向転換
すごい頑張ったブログを書いてたんですが・・・。案の定続かず・・・2年以上が過ぎ去り・・・。
というわけで、方向転換して頑張らないことにしました。
ズバリ目標は「続けること」。
内容もユルいものにしたいと思います。
ユル過ぎてびっくりするかもしれません。
「ソラニワSPA弁天」大阪USJ近くアートホテル大阪ベイタワーに関西最大級の都市型温泉施設が!
大阪弁天町に巨大な都市型温泉施設が出現するらしい。名前は「ソラニワSPA弁天」。オープンは2019年2月。場所はJR弁天町駅近のアートホテル大阪ベイタワー内の施設として。延床面積5,000坪超というからかなりの巨大温泉施設だ。
大阪ベイタワーなら駅直結のはず。思い当たるフシもあるので天然温泉なのも間違いなさそうだ。
「ソラニワSPA弁天」自体は「安土桃山時代」をテーマにした内装になるそうで、それなら大江戸温泉物語か?とも思ったけど、やっぱり安土桃山と言えばこちらでしょう。
関係あるのかないのか気になるところ。安土桃山文化村はかなりよかった(無駄に本格的)だったので。温泉施設もあるし。
歴史好き、時代劇好きとして個人的には非常にワクワクしてます。
アートホテル大阪ベイタワーはもともとホテル大阪ベイタワーとして営業していたのが、2018年3月28日にリニューアルしたばかりのおしゃれホテル。
ホテルも含め、ORC200として、飲食店などが入った複合施設だったですね。大阪の人にはツインタワーとして有名。
その複合施設のなかにフィットネスも入っていて、そこのSPAが天然温泉っていうのは温泉通にはよく知られた事実。前は確かコナミのフィットネスだったような気がしますが、今は違っているようですね。
そんなこんなで、こんな街中に突然天然温泉?て思うかも知れないんですが、もともと温泉は温泉であったんですね。
ちなみに大阪ベイタワーの近くには大阪市内随一の良湯、上方温泉一休もあり、このあたりは温泉の質がいいところなのかも知れない。
おそらく元々あった複合施設を全部ぶち抜いて温泉施設にしたんでしょう。だとしたら結構広い温泉施設になってるんじゃないでしょうか。
温泉と安土桃山という個人的に好きなもの同士が合体した「ソラニワSPA弁天」。これはもう期待しかないですね。
褒めちぎる教習所で事故率が激減したらしい
”褒める教習所”という気になるワードがラジオから聴こえてきた。しかもそれは事故率半減、生徒数倍増のとんでもない効果をもたらしたそうだ。自動車教習所って縦列駐車とか、坂道発進とか(オートマだとそんなことないか)怒られる事こそあれ、褒めるというイメージが全く沸かないんですけど、どういうことなんでしょうか。
放送があったのは3/26、夜7時~放送のJ-wave「JAM THE WORLD」。8時ごろの特集コーナーで、「「ほめちぎる教習所」のやる気の育て方」を出版した三重県の南部自動車学校の加藤光一さんが 教習所で実践している「怒る」のではない「褒める」教育の効果や実践方法を語ってくれてました。
「ほめちぎる教習所」のやる気の育て方 [ 加藤 光一 ]
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褒めて教える効果とは
怒らずに褒めて教えるメリットは、
- 難易度の高い運転技術に萎縮しなくなる。
- 自動車運転に積極的になる。
- 教習所に楽しく通うようになる。
ことだそうで、事実卒業生の事故率は激減し、生徒数が急増したそうです。
さらには、褒める練習として教官同士が褒め合うということを毎朝実践したところ、教官間の人間関係もよくなり、教習所の業務もスムーズになったそうだ。
しかし、褒めなれない身にとっては「褒める」って難しいとおもってしまう。
そこは褒める3Sを意識するといいらしい。褒める3Sとは、
- すごい
- さすが
- すばらしい
です。
とにかく、この3Sを言えばいいらしい。
「何がすごいの?」ってつっこまれそうだが、褒めているときは褒めている人の脳も機転がきくらしく、なにがしか「すごい」ところを見つけだすそうです。
JAM THE WORLD月曜日のスーパーバイザー津田大介さんは自動車教習所で怒られて嫌な思いをした過去があるらしく、しきりに「こんな教習所があの頃にあれば・・・」と連呼してましたね。
同じ思いの人、多いはず。
もうすぐ4月を迎え、うちの会社にも転職組ですが社員が入ってきます。どうも教育係をやらないといけないような雰囲気なので、ちょっと、「「ほめちぎる教習所」のやる気の育て方」を読んで勉強しときます。
安政の大地震、その震度、津波、被害の状況と幕末に与えた影響
文字通り幕末を揺るがした安政の大地震。調べてみると黒船に匹敵するダメージを江戸幕府に与えたんだろうなあということが伺えます。
なんとこの安政の大地震とは一個の地震じゃなくて、連発した3つの巨大地震のことを指すらしいのです。
幕末に襲った3つの巨大地震
その3つの巨大地震とは。
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震
マグニチュード8.4
最大震度7
震源地 熊野灘・遠州灘沖から駿河湾にかけて
発生時間 9:15
被害 死者2~3千人
1854年12月24日(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震
マグニチュード8.4
最大震度6
震源地 南海道沖
発生時間 16:30
被害 数千人
1855年11月11日(安政2年10月2日)- 安政江戸地震
マグニチュード7.4
最大震度6
震源地 江戸直下
発生時間 22:00
被害 4000~10000人
なんと震度6、7の地震が2日続き、1年後には首都である江戸を直撃する大地震が発生。
震度とその被害
3つの地震とも最大震度6~7クラス、東北・阪神大震災クラスの地震といえる。家屋の倒壊の他、大火による被害も大きく、特に就寝直後に首都の江戸を襲った安政江戸地震が著しかったようだ。
津波
地震による津波は安政東海地震、安政南海地震で激しく、また両地震とも太平洋沿岸の広範囲に及んだ事から2日続けて津波に襲われた地域もある。
最大で10m越えの津波であり、続けて6、7回襲来。揺れによる倒壊と津波のダブルでの被害を受けた。
ただ150年ほど前に発生した東北大震災に並ぶ規模、被害をもたらした宝永大地震(M8.6、最大震度7、最大津波25m)の津波の教訓から備えができていたところもあったようだ。
地震の影響
3つめの安政江戸地震をさして「安政の大地震」ということもあるし、この3つをまとめて「安政の大地震」ということもあるようです。
時代が違うので比べるのもなんですが、阪神大震災級の規模、被害の地震がこうも連発すると、さすがにかなりびびったんではないでしょうか。
現代に比べると、情報が日本全国に行き渡らないのでしもじもの者共はそれぞれの地域の地震単独に怖がっていたと思いますが、当時の情報強者達はさすがに情報を入手していたと思われます。
なので、上層部、知識人の上にいけばいくほど、恐怖・危機感が大きくなっていたと思います。
後は旅をしてる人とか、海の人とか。
それに加えて、黒船来航は1853年7月8日。何かよくないことが起こる前兆のような感じですよね。
というか、黒船よりも怖いのは地震でしょう。
一部の知識人階級に世紀末感が世直し思想が蔓延していったのも分かる気がします。
さらに頻発する地震
しかもこれだけじゃない。他にもバンバン地震が起きてるんです。
1847年5月8日 善光寺地震 M7.4
1853年3月11日 小田原地震 M6.5
1854年7月9日 伊賀上野地震 M7
1854年12月26日 豊予海峡地震 M7.4
1855年3月18日 飛騨地震 M6.8
1856年8月23日 安政八戸沖地震 M6.9
上の3地震も加えると10年ぐらいの間に、9個の地震が起きてます。ほぼ毎年。これに加え余震も頻発していたと思われます。
北は東北から南は四国まで。さらには南海大地震の揺れや津波は九州にも到達していたので、まさに全国津々浦々地震に見舞われている。地域によっては2、3回揺れてるところもあります。
見逃せない大問題
一般人に蔓延する恐怖感、知識人(維新に関わる人々)の危機感、だけじゃなくもうひとつ見逃せない大問題も発生してます。
それはお金の問題。
実際の被害、復興に掛かる資金・・・連発する地震に対してこれらの費用が幕府の肩にどんどん積み重なっていく。
さらに、このあと起こる諸外国との揉め事で、幕府は多額の賠償金を負担する訳ですが、その前にすでに災害多発で幕府の財政はかなり切迫していたのではないでしょうか。
おそらく十分な復興支援はできなかったでしょう。復興支援が足りないことで、民衆の間に藩や幕府に不満が溜まっていったでしょうし、頼りない上層部への不満が下級武士の間に広まっていったと思います。
地震がもたらした財政圧迫と民衆、下級武士の不満というのが幕末にもたらした影響は無視できないんじゃないかなと思います。