大久野島、地図にない毒ガス島からうさぎ島へと変遷を遂げた瀬戸内海の小島
実は管理人はうさぎを飼っていたりもします。そんなうさぎ好きの楽園としても有名な瀬戸内海の小島、大久野島がクローズアップされています。なぜ、こんなにうさぎがいるのか。そしてその裏にある太平洋戦争の苦い記憶とは。
外国でも話題になったうさぎの楽園
瀬戸内海にうさぎの楽園がある。ーうさぎ好きの中ではひそかに有名な話題だったのですが、ここ2、3年で全国区で知られることとなりました。今では外国でもSNSを通じて話題になっているようで、他の観光地と同じく外国からの観光客も増えているようです。
増える観光客に比例して野生化したうさぎへの扱いが問題になっています。えさをやる、抱っこするなど勝手な振る舞いも増加しています。
それにはまず、うさぎについての認識不足があります。うさぎは草食動物であり、肉食動物から狙われる立場です。
なので、人に対しても基本的にかなり警戒します。簡単に抱っこさせてくれるものではありません。抱っこさせてくれるイメージがあるのは動物園やペットショップなどで、人に慣れたうさぎがとる行動で、野生のうさぎは全力で逃げようとします。
うさぎは食べられる動物であるということから、「逃げる」ことに特化された体のつくりになっているため、骨が細いです。無理やり抱っこすると骨折する恐れが増大。けがを背負ったうさぎは群れの中で生存していくことが難しくなります。
餌をやる行為もうさぎの捕食行為を阻害するものでもありますし、群れのパワーバランスを崩してうさぎ同士の争いを誘発してしまいます。
基本的にうさぎは「触れ合える」と銘打っている施設で、触れ合うようにしたほうがいいと思います。大久野島は野生化して放し飼いになっているものなので、一歩引いて観察するのが正しい利用法だと思います。
地図から消えた「毒ガス島」
大久野島は広島県竹原市忠海町の沖合い3kmの瀬戸内海に浮かぶ小島。今では国民休暇村があるだけで、常時住んでいる人はいません。戦前は一般住民の暮らす島だったのですが、陸軍の毒ガス需要が高まる中、島全体が毒ガス製造工場として成り立っていきます。
沿岸3kmの岸からほど近い島なので、沿岸を通る列車は海側の窓を遮断。工場勤務者には毒ガス工場であることは告げられず、秘密裏に連れてこられます。
挙句の果てには、地図からも抹殺されます。
工場内での様子、製造された毒ガスがどう使われたか、は同島の毒ガス資料館に詳しく展示されています。その他、島内には廃墟となった軍事施設の数々があり、戦争の傷跡を実感できますが基本的に立ち入り禁止なので、これは眺めるだけにしておきましょう。
戦争自体犯罪ですが、毒ガスは建前上も戦争犯罪です。
うさぎが増えた訳
一部では、毒ガスの影響を確認するために持ち込んだという話もありますが、対岸の小学校から持ち寄られた8羽のうさぎが自然発生で増えたものらしいです。
広島県竹原市ホームページ
自然が堪能できて、戦争の負の遺産の学習ができるため、おすすめではありますが、最近ちょっと注目されすぎだと思います。観光客が増えすぎて、うさぎたちに受難が訪れないことを祈ります。