葛飾応為、北斎の娘にしてこの天性の感性「吉原格子先之図」と「春夜美人図」に見る光と影
最近、テレビでよく特集しているので改めて葛飾北斎の凄さを痛感しているのですが、恥ずかしながら北斎の娘、葛飾応為については知らなかった。しかし彼女の遺した作品を見て、今さらながらその素晴らしさに驚嘆しています。
ちょうど葛飾応為をモデルにしたドラマも放送されますし、
改めて、作品を見てみると浮世絵に対する認識が覆ります。特に「吉原格子先之図」と「春夜美人図」の2作品。これほどまでに光と影を表現した絵画があったでしょうか。
葛飾応為とは
葛飾北斎の三女、応為は画号(芸名)で名は栄。お栄、栄女と呼ばれていた。父、北斎が娘を「オーイ、オーイ」と呼んだとも、逆に娘が父を「オーイ、オーイ親父どの」と呼んでいたことからとったといわれている。
堤派の絵師、南沢等明に嫁いだが、等明の絵の批判を躊躇せず行ったことから離縁され北斎の元に戻ってくる。戻ってからは自らの作画とともに父、北斎の制作助手を務め、肉筆画の彩色を担当していた。北斎も「美人画は応為にかなわない」と言及していたという。
生没年が不明で、作品も十数点しか残っていない。謎に包まれているが、残っている作品はどれも素晴らしいものばかりである。
レンブラントの「夜警」と「吉原格子先之図」
By Katsushika Ōi, Japanese Ukiyo-e artist of the 19th century (Ōta Memorial Museum) [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons
一番驚くのが「吉原格子先之図」。江戸時代の作品と思えない、光と影の表現。夜の闇とほわっと表現されている行燈の灯かり。その灯かりに照らされる遊女の表情にも陰影が表現され、その細かなこだわりには驚嘆を覚える。
確かにレンブラントの「夜警」と比較されるのもわかる気がしますが。
(ちなみに「夜警」は実は夜ではなく昼の状況を描いたものらしい)
北斎なども西洋美術の情報を仕入れ、その技法を試していたらしい。「夜警」は1642年。「吉原格子先之図」は19世紀の作品なので、影響を受けた可能性のなくはないですが、今と違って写真もなく、実物や複製以外に絵画に触れられない時代にどこまで知っていたのか。
また、「吉原格子先之図」は肉筆といって、直接紙に彩色されているもので、版画のように大量生産はできなかったものです。(同じ構図で複数制作されたことはあったようですが)。他の浮世絵のようにヨーロッパの印象派にどれほど影響を与えたかは分かりません。
しかし、そこはかとなく感じる光の哀愁、妖しさ、引き込まれる闇など、非常に引き付ける魅力のある作品です。もっともっと露出して世間に知られてもいい作品ではないでしょうか。
「春夜美人図」の細かい光の書き分け
◇葛飾応為 《夜桜美人図》
19世紀中頃 絹本彩色 88.8×34.5cm メナード美術館所蔵
もうひとつ、光と闇を大胆に描いた作品に「春夜美人図」(「春夜美人図」と呼んでいるところもある。)がある。
こちらはも光の書き分け方が絶妙な作品だ。
星の輝きの違いによる書き分け、顔を照らす灯篭と手前の灯篭の明るさの違い、着物のあたる光と影の書き分け。女性の心情が光と影の具合に乗り移っているようでただの状況描写とは違う絵全体を通して訴えてくるものがある。
繰り返しになりますが、これほどまでの作品を知らなかった自分の無知さ加減を恥じ入るばかりですが、こんな無知にも届くようにもっともっと広く知られるようになってほしいですね。
きっと多くの人にとって感じることが多い作品だと思います。
ドラマの原作本
眩 [ 朝井まかて ]
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葛飾北斎、応為親子を描いた漫画
百日紅(上) (ちくま文庫) [ 杉浦日向子 ]
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